ヨハネの両親、祭司ザカリアとエリサベトには、子がなく、そして年老いていました。子がない寂しさを感じていましたが、そのような苦悩を抱えている人の中に、私たちは本当の信仰を見ることがしばしばあります。ロマ書には「苦難は忍耐を、忍耐は練達を、練達は希望を生む」とありますが、ザカリア夫妻は、単に祭司として掟を守っていた(6節)から素晴らしかったのではなく、このことを通して主に依り頼む確かな信仰がはぐくまれていたのです。そして、ザカリアに、「聖所に入って香をたく」という務めが与えられました。これは祭司のする務めの中でも一番大切で、一生涯で一度きりの務めでした。
そのような、生涯で一度の務めの中で、主の使いがザカリアに現れました。子が与えられるということを信じられなかったザカリアは、口が利けなくなるという嬉しくないしるしをもらってしまいますが、この不思議な出来事の後、ザカリアの妻エリサベトは身ごもり、男の子を産みました。人々がこの赤ちゃんに父親の名前をつけようとすると、エリサベトは、「主は恵み深い」という意味のヨハネという名前にすると言いました。これは、天使ガブリエルから付けることを命じられていた名前だったのです。人々は、父親にも何という名前がいいのか尋ねました。ザカリアが「この子の名はヨハネ」と書いたとたん、彼は元通り話せるようになり、神を賛美しだしたのでした。そして68節以下にあるように預言をしました。この預言は、イスラエルの救いの歴史と預言に根差しています。ヨハネの父ザカリアは、息子ヨハネが、イエス・キリストに先だって人々を悔い改めさせ、道を備える者として生きることを、そしてその主イエスこそ平和の道に導く存在であることを預言したのでした。
私たちはザカリアとエリサベトの待ち望む信仰を見習いたいと思うのです。そして、ヨハネのように、神様の使命に生きたいのです。それは、人それぞれですが、必ず役割を与えておられるのです。この使命に気づく時、人は強くなるのです。私たちに与えられている使命がいったい何なのか、このアドヴェントを通して改めて思い巡らしましょう。