牧師紹介

6代目 大井啓太郎 2011年4月赴任 

 自己紹介

  1966年生まれ。生まれは横浜ですが、2~3歳の時に秦野に引っ越してき ました。市立渋沢小学校、市立西中学校、県立秦野高校(高3の時に渋沢教会で受洗)、日本社会事業大学 福祉学部児童福祉学科、日本聖書神学校卒業。

 いくつかの教会・施設の牧師・職員を経て2011年地元に戻ってきました。

 ・介護福祉士。

 ・趣味は、海釣り。スポーツ観戦(主にプロ野球)。SFアニメ。

     知らないところに行くこと。 日本茶(緑茶)。囲碁。

・家族は妻と一男一女(すでに成人)と猫。

 

私が牧師になったわけ(救いの証し)細かいことははしょります。

 

 私は幼稚園の時に万引きをしました。そのことをずっと心に秘めたまま高校生になり、今度は大切な友人を裏切ってしまったのです。進路にも悩み「自分なんて生きている価値がない」と自殺まで考えていました。しかし、小学校3年の時から通っていたこの渋沢教会で、聖書を読んでいた時「私(主イエス)が来たのは、正しい人を招くためではなく、罪人を招くためである」(マタイ9:13)というみ言葉が心に迫ってきました。自分は赦されているという感謝の気持ちが湧きおこり、高3のクリスマスに洗礼を受けました。また、こんな私でも、目の見えない人の目に、足の不自由な方の足にはなれるとの思いで、社会福祉を学ぼうと思い、一浪して福祉の専門大学に進み、スクールソーシャルワークをテーマに卒論を書きました。大学4年の時に父親が亡くなり、長男だった私は母親の面倒を見るために家から通える職場を探しました。登校拒否などで学校に行けなくなった子どもの大学検定試験合格を目指す予備校に就職したのですが、企業人の限界を感じて悩んでいたところに、牧師から「神学校に行ってみないか」と声をかけられました。神学校は牧師を養成するところです。当初牧師にはなれないと思っていましたが、聖書の学びはしたかったので、1年で退職し、神学校に入学しました。牧師になるためには、何より神様から牧師になりなさいという召命(しょうめい)が必要なのですが、私にはそれがありませんでした。実は自分は牧師なんてなれる器ではないし、日曜日に遊びに行けないという理由で牧師にはなりたくなかったのです。しかし1年が終わろうとしていた時に「この異邦人の中にイエス・キリストのものとなるように召されたあなた方もいるのです」(ローマ1:6)というみ言葉を読んだ時、「自分はすでに神様のものだったのに、一生懸命、神様の示す道を進みたくないと抵抗していた。でも、もう抵抗しません」という気持ちになり、本格的に牧師を目指すようになりました。何とか牧師になり、妻や子も与えられて、自殺を考えた18歳から30数年、この間もいろいろありましたが、神様の導きと恵みで今があります。

 私はよく思うのです。もし何かを売る仕事なら、自分が自信をもって人に勧められる商品を売りたい。その点においては、私は間違いのないものを人に勧めることができる幸せな人生だと。