· 

1/30 礼拝メッセージ「ペトロの魚釣り」

 2度目の受難予告に、さらに弟子たちは不安になりました。その後主の一行は、カファルナウムに戻ってきました。そこに神殿税を集める者がやってきて、「あなたたちの先生は神殿税を納めないのか」とペトロに問いました。神殿税は、成人男子が年に1度納めるもので、銀半シェケル、労働者2日分の賃金です。徴税人が「あなたたちの先生は」と尋ねているところから、ファリサイ派や律法学者たちから「神殿税を納めなかったら知らせてくれ」と頼まれていたかもしれません。納税しなければ、訴える材料になったはずです。それを知ってか知らずか、ペトロは「納めます」と即答しました。そう彼らに言って、イエス様に報告しようと家に入ると、なんとイエス様の方から「王様は自分の身内から税を取り立てるのか」と切り出されたのです。ペトロは「ほかの人々からです」と答えました。主はその答えを確認して言われました。「では、子どもたちは納めなくてよいわけだ」。この意味は、主なる神の子である自分には、神殿税を納める義務がないということです。ですから、ペトロが徴税人に対して納めますと言った言葉は、厳密に言えば間違ったことになります。しかしそれでも、主は言われました。「しかし彼らをつまずかせないようにしよう。湖に行って釣りをしなさい。最初に釣れた魚を取って口を開けると、銀貨が1枚見つかるはずだ。それをとって、わたしとあなたの分としなさい」と。ペトロの間違いは間違いとして、それでもペトロに釣りという労働を通して神殿税を納めさせようとされたのです。

 

 ローマ帝国下のキリスト教会は、数百年迫害の時期を過ごすことになりますが、彼らは仲間を見つけるシンボルとして「魚(ΙΧΘΥΣ)」を用いるようになりました。それは、魚という言葉が、「イエス・キリスト、神の子、救い主」というギリシャ語の頭文字と同じだったからです。私たちも、「イエス・キリスト、神の子、救い主」と主を告白し、復活の希望をもって歩みましょう。