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2/6 礼拝メッセージ「自分を低くして」

 マタイによる福音書18章は、主イエス様が弟子たちに対して、信仰共同体の一員として何が大切なのかを語っている章です。そのきっかけは、「誰が一番イエス様に愛されているか、誰が一番偉いか」という弟子たちの論議でありました。高い山にペトロ、ヤコブ、ヨハネを連れて行ったことで、残された弟子たちは、なんで自分は連れて行ってもらえなかったのかと考えたことでしょう。人間の性(さが)で、集団になると自分は上から何番目なのかということを考えたくなります。このときの弟子たちも、誰が一番イエス様のおそばで食事をするかとか、イエス様の後を歩くのかとか、順番を決める必要があったのでしょう。

 

 しかし、主イエス様は、そんな弟子たちの前に子どもを立たせて「はっきり言っておく。心を入れ替えて子どものようにならなければ、決して天の国に入ることはできない。自分を低くして、この子どものようになる人が、天の国でいちばん偉いのだ」と言われました。そんな誰が偉いとか偉くないと言っている心を入れ替えないと天の国にすら入れないと言われたのです。マルコ福音書9章では、「一番先になりたい者は、すべての人の後になり、すべての人に仕える者になりなさい」とも記されています。主の後に続いて一番先を歩きたい人は、一番後ろになって、皆のために働く人こそ偉いんだということです。主に従う者とは、偉さを求めてはいけないのです。「実るほど頭(こうべ)を垂れる稲穂かな」日本のことわざにも謙虚さが大切であることが語られています。

 

 イエス様は、まさに人生を上昇思考ではなく、下降思考という逆転の発想で生きられた。事実、イエス様は神の国から私たちの元へ下ってくださったのでした。私たちに仕えられた。それは私たちに新しい生き方を提示してくださったことでした。それはまさに古い生き方から、新しい生き方への転換を意味しています。