「私を信じるこれらの小さなものの一人をつまずかせるものは、大きな石臼を首にかけられて、深い海に沈められる方がましである」大きな石臼というのは、ロバが使うものですから、イエス様は、あえて最も悲惨な死に方を語っているのです。しかし、まだその方がましであると言われる。そして7-9節では、あなたの手足や目があなたをつまずかせるなら切って捨ててしまえと、私たち自身のつまずきについてまで言及されています。これほどまでに主が小さなものをつまずかせることを厳しく叱責されたのは、主イエス様がこの世界に来られた目的そのものを否定する行為だからです。主は「私が来たのは正しい人を招くためではなく、罪人を招くためである」また、「神は、その独り子をお与えになったほどに、世を愛された。独り子を信じる者が一人も滅びないで、永遠の命を得るためである。神が御子を世に遣わされたのは、世を裁くためではなく、御子によって世が救われるためである。(ヨハネ3:16‐17)」と言われました。つまずかせる者とは、この主イエス様の目的である天の国への道を阻むことに他なりません。その原因が、弟子たちの誰が一番偉いのかというささいな議論から発生したのです。
内部に問題を抱えるということわざに「獅子(しししんちゅう)の虫」というものがありますが、弟子たちは、まさに獅子身中の虫となって、主の働きを害する恐れがあったのです。だからこそ、主は強い言葉で警告されたのです。
弟子たちの言い争う姿は今に生きる私たちも同じです。教会員同士誰が偉いかと、争っている姿をみれば、教会員でない人は、教会に魅力を感じないでしょう。私はそれが、つまずきをもたらすものは切って捨ててしまいなさいという主の言葉の意味だと思うのです。私たち信仰者は、私たち自身の言葉に、自分自身だけでなく、他の人々の天の国への責任があることを深く自覚しなくてはなりません。