イエス様のもとに「永遠の命を得るには、どんな善いことをすればよいのでしょうか」と青年がやってきました。彼はイエス様のうわさを聞いて、ファリサイ派の人々のようにではなく、真剣にその答えを求めていました。イエス様は、十戒の中からあえて、人が人に対してすべき掟を取り上げて提示したのです。この人は、そのような律法はみな守ってきました、と食い下がって聞いたところ、主イエス様は「完全になりたいのなら、行って持ちものを売り払い、貧しい人々に施しなさい。そうすれば天に富を積むことになる。それから、私に従いなさい。」と語られたのでした。この男は悲しみながら立ち去りました。彼は多くの財産を持っていたがために、すべてを捨て去ることができなかったからでした。
この箇所は、主に従うためには全てを捨てなければならないと誤解しがちですが、よくよく読んでみると、主に従う前の決意と主に従った後にある祝福があるということが分かります。主を信じるとは、それほど難しい事ではありません。必要なものは全て主が与えてくださるということを信じることです。そして、事実主は必要を満たしてくださるのです。それが主に従った後の祝福です。この金持ちの若者は、そのままで永遠の命を得る方法を知りたかったのです。しかし、主がその若者に示したのは、全てのしがらみを乗り越えて私に従いなさいということでした。地位や名誉欲から解放され、主に従って初めて、天の国に入ることができるということです。
このような富の誘惑の大きさを主イエス様は「金持ちが天の国に入るのは、針の穴をらくだが通ることより難しい」といわれたのです。富は野心や独占欲や、競争心をあおりこそすれ、それを平和のために、人々のために用いる人は少ないのです。主は「神と富とに兼ね仕える事はできない」といわれました。富は、この世で絶大な力を発揮しますから、それ自体が信仰の対象になってしまうのです。今さまざまな偽装問題が起こっていますが、まさにお金第一主義の結果なのです。森永製菓を創業した森永太一郎兄のような天国銀行に富を積む信仰を養いたい。