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6/19 礼拝メッセージ「天使のように」

 モーセ五書と呼ばれる創世記・出エジプト記・レビ記・民数記・申命記しか正典として認めていなかったため、預言書にある復活を否定していたサドカイ派が、イエス様に質問しました。

 彼らの質問は、ある長男夫婦の夫が先に死んで、家名を絶やさないために次男と結婚し、その次男も死に、という具合にとうとう七男とまで結婚したけれども、子どもは生まれず、その女性も死んだ時、もし復活が起きた時、いったいその女性は誰の妻か?と問うたのです。申命記25:5には、家名を守る規定が記されています。だからそんな復活などは起こらないと考えていたのです。これに対しイエス様は30節「復活の時には、めとることも嫁ぐこともなく、天使のようになるのだ」と明確に答えられました。永遠の命が与えられる天国では、子孫を残すために結婚をしなくてもいいですし、すべての存在が主にあって一つとなるのですから、より高い愛に変わるのでしょう。

そして、イエス様が指摘されたのは「アブラハムの神、ヤコブの神、イサクの神」という言葉の意味でした。この言葉には、過去形ではなく、彼らが今も天国で生きているから、このように言われたのだと主は語られました。

 

 私たちは「天使のように」なれるでしょうか?姿形がどのようになるのか、分かりませんが、本質的に神に仕え、神を賛美する存在であるということを、主イエス様は私たちに教えているのです。神学的に言えば、親子、兄弟の情など関係なくなるのかもしれません。しかし、イエス様は、今日の聖書箇所において「神は死んだものの神ではなく、生きている者の神なのだ」と言われています。主なる神様は私たちの思いを全く無にはなされないお方だと思うのです。少なくとも、ロボットのように記憶を全部消してただ、神様に仕えるような存在にはされないと思うのです。この世で、信じたり疑ったりを繰り返しながら、私たちの信仰はより深みを増し、そして最後には、心から主なる神様の栄光をほめたたえる天使のようになれるのです。