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6/5 礼拝メッセージ「聖霊が宿って」

 ペンテコステは、イエス様の弟子たちに聖霊の力が宿って福音を大胆に宣べ伝えだしたことから教会の誕生日と言われます。聖霊なる神様の力によって変えられたことのお祝いです。

 聖霊によって力を得たペトロが、弟子たちを代表し民衆を前にしてこの出来事の意味を語り始めました。ペトロは、まずヨエル書を引用して今が「終わりの時」であることを人々に告げました。そして、ナザレの人イエスこそ、神から遣わされた方であったことを伝えたのです。「はっきり知らなければならない。あなた方が十字架につけて殺したイエスを、神は主とし、またメシアとなさったのだ」と。これを聞いた人々は、「大いに心を打たれ」彼らは「私たちはどうしたらよいのですか?」と聞きました。ペトロは、イエス・キリストの名によって洗礼を受け、「邪悪なこの時代から救われなさい」と勧めました。ペトロの言葉を受け入れ、洗礼を受けた人はその日だけで3000人以上になりました。元ガリラヤの漁師で何の学問もなく、3度主を知らないと裏切ったペトロでしたが、そのペトロが、聖霊の力を受けてこのように変えられたのでした。

 

 その聖霊の力は今に及んでいます。私たちにも聖霊が宿り、聖霊の導きで、考え行動しているのです。渋沢に住む人々や私たちの大切な人々に福音を伝えるために、何をしたらよいのか、何ができるのだろうか?と祈って考え出すこと、思いめぐらすこと、語り合うことは、聖霊の働きを否定することではありません。逆に全知全能なる神様が、私たちが何もしなくても教会員を増やし、子どもたちに信仰を継承してくれるなどと考えるほうが、信仰をはき違えていると言わねばなりません。この時代、この秦野という場所に神様から遣わされているのは、私たちに他なりません。私たちこそ、復活の主の証人であり、この地での福音の担い手なのです。主イエス様や弟子たちのように病気をいやす力はなくとも、異言を語れなくとも、少なくとも自分が救われたという奇跡を語ることはできるのです。私たちも、ヨエル書にあるように大いなる幻を見、夢を見ましょう。地の果てまでキリストの愛を伝える働きに加わりましょう。