普段は主イエス様を敵視していた律法学者でしたが、学者本来の向学心か、「律法の中で、どの掟が最も重要ですか?」と主に問うた人がいたのです。イエス様は悪意のある変化球のような問いには、変化球で返すのですが、今回のような直球には、ちゃんと直球でお答えになったのです。主が語られた掟は、申命記6:5に記されているものですが、イエス様は「力を尽くし」を「思いを尽くし」という言葉に代えて全身全霊をもってあなたの神である主を愛することが重要だと語られました。さらに、イエス様は、律法学者から問われなかった第2の掟について語られました。レビ記19:18「隣人を自分のように愛しなさい」です。この二つの掟は一見すると矛盾するように思います。神様が大切なのか、それとも人が大切なのかと。しかし、神を愛するということは、神の教えを守ることです。そして神の教えは、本来神様との関係だけでなく人同士の関係をも育むためのものです。しかし、人間は一つのものが大事だと思い込むと、他のものが見えなくなる。神様一番と言ったら、もう人間同士は関係ないと思ってしまいがちなのです。聖書の教えのある部分だけを大切にしすぎると、その本質が見えなくなる。そのバランスを欠いた様を「信仰」と勘違いしてしまいがちなのです。イエス様は、神と人を愛するという一見矛盾したことを語る中で、ファリサイ派・律法学者らが忘れていた、信仰のバランスの重要性を語ったのです。
「自分を愛するように」人を愛するということも、どのように愛すればいいのかを考えるうえで重要なことです。「自分を愛するように人を愛する」ことは誰にもできません。でも、相手の立場を自分の立場に置き換えて考えてみるというプロセスを持つということが、大事であることをイエス様は私たちに語っていると思うのです。マタイ7章にある「人にしてもらいたいと思うことは何でも、あなた方も人にしなさい」という黄金律と呼ばれる主の教えにもまた、主は「これこそ律法と預言者である」と語っています。主に従う私たちは、私たちの自己中心の在り方から、他者を愛することを学べるのです。