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7/24 礼拝メッセージ「終末の兆し」

 壮麗なエルサレム神殿に心奪われている弟子たちに対して主イエス様は、エルサレムの滅亡と、この世界の終わりがあることを告げました。主は弟子たちに、偽預言者が出現し、戦争や暴動、地震や飢饉が起きる。それはしかし、生みの苦しみの始まりであり、主の名の故に迫害され、互いに裏切り、憎み合うようになるが、最後まで耐え忍ぶものは救われると語られました。

 

 私は、今は終わりの時代と思わずにはいられないのです。ロシアによるウクライナ侵攻、東日本大震災、新型インフルエンザや新型コロナなどの疫病、地球温暖化、オゾン層破壊など、不安な要素は枚挙にいとまがありません。1ペトロ1:20にあるように、すでに終わりの時代が始まっており、救いの開始と完成のために主がおいでになったことを聖書は私たちに示しています。12弟子やそれに連なる初代キリスト教徒たちの多くは、自分たちが生きている間に主の来臨があることを確信していましたし、望んでいました。2000年もその時が延ばされているとは思っていなかったでしょう。これは、マタイ24:14にあるようにまだ世界中に福音が宣べ伝えられていないことによる遅れなのです。

 

 宗教改革者のルターは、「たとえ明日、世界が滅亡しようとも今日、私はリンゴの木を植える。」と答えたそうです。これは、全てを主なる神様に委ねた姿と言えるでしょう。終わりの日、それはクリスチャンにとって希望の日です。私たちは一日一日終わりの日に向かって生きているのです。そして自分の死に向かって一日一日生きているのです。私たちは老いて病の中で死という怖さ恐ろしさ苦しみに必ず直面するのです。しかし、信仰を持つ者は、霊の目が開け主がいつも私たちの傍らにいてくださるのを見出すことができるのです。

 過度に恐れず、毎日毎日を精一杯歩んでいきましょう。