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8/14 礼拝メッセージ「友達はいるけど…」

 最近の若い人たちの悩みは何かと調べたところ、学生の悩みごとは、「進路(就職・進学)」、「勉強」「容姿・体型」「恋愛」「人間関係」でした。20代の人になると、お金、仕事、結婚が悩み事となるというのも、これは今も昔も日本の若者が抱える悩みではないかと思います。

 

 私は高校に入ると、女の子の友達はできたのですが、自分に自信がなく好きと言えずにいました。そのうち、中学からの友人が好きな女の子を好きになってしまい、友人を裏切ることとなってしまいました。それからは、奥手に拍車がかかってしまい、大学時代は、好きな女の子はいたものの、友人以上の関係になることはありませんでした。今思うと、そんなことと思うのですが、やはり当事者としては大問題でした。先ほどのアンケートでも3割ほどの人は、だれにも相談する相手がいないと回答していました。改めて、本当に悩みを相談できる相手、友人が自分にはどれだけいただろうか、と思うのです。一緒に遊びに行くような友達はいても、本当に悩みを聞いてくれる友人がみなさんにはおられるでしょうか?

 

 使徒パウロは知恵・異言・預言を追い求めていたコリントの人々に、信仰と希望と愛が重要である、中でも、愛は永遠であるから、これを追い求めよと語りました。パウロの宣教の旅には、いつも信仰の友がいました。どんなに苦しい旅でも、友がいたのです。友とは、本質的には何かをしてくれる相手ではなく、何かをしてあげたい存在のことを言います。パウロは、イエス・キリストに真の友を見ました。それは、主イエスを信じる人を迫害していたのにもかかわらず、私のために十字架にかかってくださったと、知ったからです。彼はだからこそ、信仰や希望や愛のうち、愛こそが重要と語ることができたのです。

 

 友人を探すなら、もう私たちのために命さえ捨ててくださった主イエス様がおられます。そしてあなたが他の人に親身になることができたら、あなたは友を得るでしょう。