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9/18 礼拝メッセージ「神様はあなたに期待している!」

 この主イエス様が語られたたとえから教えられることは、まず第一に、神様から与えられる賜物は人それぞれに違うということです。

 タラントンというのは、もともとは、ギリシャの通貨の単位で約20年分の労働対価となります。転じて一生で得られるほどの金額を表す意味となり、その人に与えられた才能とか能力という意味になりました。英語のタレントという言葉はこのタラントンが語源です。ですから私たちは、それぞれ神様から少なくとも1タラントンが与えられているのです。しかし私たちはすぐに、なぜこのような違いがあるのか、不思議に思いますし、多く才能や能力を与えられた者に対してやっかみや妬みの思いすら湧いてきてしまうのです。

 しかし、タラントンを重さで考えると、多く与えられているものは、それだけ重いのです。大変なのです。それは責任ということにもつながるのです。自分の身の丈に合ったものを神様はタラントンとして与えてくれているのです。

 

 第2に教えられること、それは全ての賜物を生かし、その全ての結果をかの日に神様のみ前に差し出す(20節)ことが忠実な僕のあるべき姿です。しかし、そのようにして、もし大損害を出したなら、このたとえはどうなるのだろうか、主人である神様は、どう僕である私たちに語られるのだろうか、と考えてしまうのです。私たちは失敗が多いからです。しかし、失敗して損をすることが神様にとって悪い僕であるならこの3番目の僕に、「商売しましたが、うまくいきませんでした」と損をさせるたとえにしたはずです。もしくは、4番目の僕として登場させたはずです。しかし、そうはなさらなかった。このたとえの強調点は、結果を恐れ、土に埋めて何もしなかった僕の「何もしなかった」ことへの警鐘なのです。最初の二人には主人の期待に応えたいという思いがあり、最後の一人にはそれがなかったことを私たちは知ることができます。主人のことをよく知っていたかもしれませんが、その願いや期待は知らなかったのです。

 

 悪い僕は直接的には律法学者や、ファリサイ派の人々のことを指していました。

しかし、私たちもまた、せっかく神様から素晴らしいタラントンをいただいているにもかかわらず、ないもののようにしているとしたなら、それはやはり悪い僕と同じなのです。賜物の忠実な管理とは、それを生かすことです。私たちは、与えられた時と場所や能力や立場といったタラントを活かした人々を忘れず、神様に期待するだけでなく、私たちも神様から期待されているんだということを心に刻みたいと思うのです。