「いちじくの木の教え」「目を覚ましていなさい」「忠実な僕と悪い僕」という3つの小見出しの内容は別々の内容ではなく、この世の終わりは、気が付かないうちにやってくるんだということを、主が少しずつ違う角度から話されています。それだけ主イエス様は真剣に、また丁寧にこの世の終わりについて伝えようとされているのです。
「いちじくの木の教え」では、その成長から季節が分かるように、自然災害や戦争にその前触れを見ることを話されましたが、36節にあるように「その日、その時は誰も知らない。天使たちも子も知らない。ただ父だけがご存じである」と主は言われるのです。イエス様は私たち一人一人がノアのように備える信仰を期待しているのです。そのことがはっきりわかるのが45節以下の「忠実な僕と悪い僕」の対比です。主人の帰りが遅いと知った僕は、やりたい放題のことをしてしまうのです。私たちも、終末がまだまだ先だと分かったなら、好き勝手に生き、そして気が付かないうちに終末が訪れてしまう。だから、あえてイエス様は、その日がいつかを明言せず、そのしるしを見て心備えをせよと弟子たちや、私たちに語っておられるのです。
しかし、ではこの世の終わりに何を備えたらいいのでしょうか? イエス様はその宣教の最初に言われました。「時は満ち、神の国は近づいた。悔い改めて福音を信じなさい。」と。自分中心であった生き方から、神中心の生き方への転換。それが悔い改めるということです。そして、福音とは、どれほどの罪人であっても、イエス・キリストの十字架の贖いによって罪赦され、神の国に入ることができるということを信じるということです。そして、大切な友のために祈り、一人でも多くの人々に、「あなたは神様に愛されている。一人じゃない。」という福音を伝えることだと思うのです。