主イエス様たちは食事を終えた後、オリーブ山にあるゲッセマネの園に出かけました。ルカ福音書を見ると、よく来られた場所だったようです。いつものように、いつもの場所にいく。弟子たちは食事中に主に言われた「誰かが裏切る」という不吉な言葉を少し忘れて、主の後に従ったのです。しかし、主は「今夜、あなた方は皆わたしにつまずく」と皆が裏切ると言われたのです。主イエス様が、このように預言したのは、彼らを非難するためではなく、彼らに彼らの心に、自分は全く善人などではなく、主イエス・キリストを最初に裏切った者たちであることを心に焼き付けるためだったのではないかと思うのです。
しかし、そのような主イエス様の思いなどまったく分からないペトロは、「たとえ、みんながあなたにつまずいても、私は決してつまずきません」と、反論します。自分だけはそんなことは絶対しないと、言い切るのです。しかし、イエス様は「はっきり言っておく。あなたは今夜、鶏が鳴く前に、3度わたしのことを知らないと言うだろう」と預言されました。その言葉に「たとえ、ご一緒に死なねばならなくなっても、あなたのことを知らないなどとは、決して申しません。」とペトロはさらに言葉を重ね、そして同じように他の弟子たちも言ったのです。彼らの言葉が勇ましければ勇ましいほど、この結末を知っている私たちにはむなしく聞こえます。ペトロたちは決して嘘を言おうと思ったのではないでしょう。しかし、人間は弱いのです。言葉と行いはいつも一致していないのが、人間なのです。
そのようなペトロらに対して、ルカ福音書には、主イエス様が「信仰がなくならないように祈った」とあります。彼らを愛しておられたがゆえに、主は彼らのために祈ってくださっていたのです。
同じように、弱い私たちのために今も主イエス様は「信仰が無くならないよう」祈り続けてくださっているのではないかと思うのです。私たちもつまずきながらも信仰を無くすことなく、復活の主にお会いしたいと思うのです。