主を逮捕する企てが進む中、イエス様は昼はエルサレム神殿の境内で教え、夜はエルサレムにほど近いベタニアで過ごされておりました。このベタニアはマルタとマリア、ラザロがいましたが、シモンという人物の家でその事件は起きました。一人の女性が純粋で、非常に高価なナルドの香油を主イエスの頭に注ぎかけたのです。この女性は、ヨハネ福音書12:1ではマルタの妹マリアと記されています。ナルドというのはヒマラヤに生えている植物から取った油だそうで、この価値は300 デナリ、労働者が300日働いて稼ぐものと同じでありましたし、その量はおよそ326グラムですから、高価な物だという事が、その量からも分かるのです。そのような高価な香油が惜しげもなく、イエスの頭に注がれたのです。その行為に対し、弟子たちはもっと有効な使い方があるだろうと憤慨します。ヨハネ福音書では、怒った理由は本当に貧しい人を考えたからではなく、会計のユダが預かっていたお金をごまかしていたからだと説明します。しかし、主イエス様にとって、この油注ぎは、大切な意味を秘めたことだったのです。それは油を注ぐということがメシアのしるしであり、死者の葬りを意味していたからです。
主イエス・キリストがこの女性の好意を美しい行為として、そして「世界中どこでも福音が述べ伝えられる所では記念として語られる」と語ったのは、その香油が高価であって、主がその様なものを喜ばれたからではありません。マリアは主イエスをメシアと認め、また、主が語られた言葉をしっかりと受け止め、弟子たちがしなかった、考えたくなかった死への準備をしたからです。
今世間では、安倍元首相銃撃事件に端を発する、旧統一協会の献金の非常識性が、問題視されています。確かに、家族崩壊をきたすような献金の在り方は問題ですが、しかし献身のしるしとして、精一杯おささげすることは、信仰者として大切なことでもあります。弟子たちが成し得なかったことを、人の数として数えられなかった時代の一人の女性が行い、それが今に伝えられているのです。真実に主に従い、主に仕えることを改めて彼女から学びたい。