2023年の主題聖句から。第一に教えられること、それは、私たちは神様から賜物を授かっているということ。賜物とは、ギリシャ語ではカリスマ、英語でスピリチュアルギフト、霊的なプレゼントということです。そう言うと、大抵の人は、そんなプレゼントもらっていないと言うのです。実は私もその実感に乏しい方でした。それでも、牧師とされているのは、多くの神の恵みに与(あずか)ってきた事実です。敵なんか愛せないと聖書に反発しながらも、主イエス様の言葉の不思議な魅力から離れられず、自分の中にある自分中心という醜いものに気づかされ、苦しみの中にあっても慰めがあり、悲しみの中にあっても平安があることを経験してきました。取るに足らない自分でさえ、このように恵まれているという事実が私にとっての神様からのギフトなのです。自分の身に起きた神様の恵みを語らずにはいられない、それが、私が牧師を続けることができる理由です。
また、足りないことに不満を言うのではなく、自分勝手な自分の理想像に自分自身が縛られることなく、少し前のアニメの主題歌ではありませんが、ありのままで、ありのままに生きる、ありのままの人生を喜ぶということが、神様からいただいた賜物の良い管理者であり、その賜物を活かすということになるのです。そして、その人の良い味を引き出す役割は、周りにも責任があると思うのです。自分に見えない宝は、実は周りの人の方が良く知っているということがあります。長所と短所は表裏一体です。自分がマイナスと思えていることこそ、あなたが知らないあなたの宝になる原石です。
そのように、自分の知らない自分を発見するためにも、礼拝は重要です。自分の罪深さ、愚かさが見えてきますが、同時に神様に愛されていることにも気づけるのです。そこに心からの賛美、感謝が生まれるのです。是非その喜びを、あなたの大切な方に伝えていってほしいと思います。それがあなたの中にある新たな信仰の芽になるのですから。