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12/11 礼拝メッセージ「待降節③ 救いの前触れ」

 サッカーW杯は、日本はクロアチアに負けてしまい、悲願のベスト8はなりませんでした。4年後のW杯のためにまた新たな準備が始まります。しかし、大きな目標を成し遂げるために、準備は必要不可欠です。それは、人類の救いにも言えることなのかもしれません。聖書は、主なる神様が様々な時代、様々な形で人類の歴史に関わってきたことを語ります。人類創造、ノアの箱舟、バベルの塔…。それらの物語は、それぞれ別の完結しているように見える物語ですが、実は、神様の壮大な救いのプロセスでした。士師サムソン、洗礼者ヨハネもまた、神の御子イエス・キリストの救いの前触れとしてイスラエルの歴史の中に「ナジル人」として登場しました。

 

 一つ一つの出来事には、意味と意思があり、その結果が新たな出来事につながります。人間の歴史は、自己中心というその頑なさや弱さも含めて、神様の救い、御子イエス・キリストの誕生と十字架の死につながっているのです。

 では、神様の救いの時を早めるために、この世がもっともっと、悪が栄えた方がいいのでしょうか?確かに、主なる神様は万事を益として下さるお方です。しかし私たちは、人類に起こる出来事を、神の摂理だからとただ受け入れるのではなく、神様は何を望んでおられるのかと問い、できる限りの努力をすることを神様は望んでおられるのです。そのような神の心に適う人の営みを主は祝福してくださるのです。渋沢教会は、来年訪問介護事業をスタートさせます。ここまで6年かかりましたが、神のみ心を求め、よりよい形にするために大切なプロセスだったと思うのです。

 

 先が見えない暗闇の時代に私たちは、なお生き続けなければなりませんが、私たちには、み言葉という道しるべがあります。灯(ともしび)があります。この時代に主を証しする使命を与えられている私たちには、主が共にいてくださるのです。その喜びを胸に、今日から始まる1週間を過ごしていきましょう。