イザヤ書7章に出てくるアハズ王は、南ユダの王で「彼は父祖ダビデと異なり、自分の神、主の目にかなう正しいことを行わなかった。」と列王記下16章に記されています。彼の時代、諸外国との関係が悪化していました。預言者イザヤは主に望みをおくことを語りました。しかし、アハズ王は、「わたしは求めない。主を試すようなことはしない(12節)」と、一見信仰的な言葉を語りますが、彼は戦いに勝利したのちアッシリアの神々の祭壇を立てさせていますから、主なる神を信頼していなかっただけなのです。イザヤはそのような王の態度に、「主が御自らあなたたちにしるしを与えられる。見よ、おとめが身ごもって、男の子を産み、その名をインマヌエルと呼ぶ。」と預言しました。この預言が成就するのはそれから約600年後の子孫、大工ヨセフの時でした。婚約したマリアが妊娠したことに、身に覚えのない彼は悩みました。当時不倫は石打の刑にあうほどの重い罪でした。マリアを愛していたヨセフは公にすることなく、密かに離縁しようとします。しかし、天使が夢に現れて、「ダビデの子、ヨセフ、その子は約束された神の子だから、おそれず妻に迎えよ」と、聞かされるのです。
「正しさと愛」は時に両立することが難しい場合があります。しかし、ヨセフはマリアと共に生きる決断の中で、それを両立しました。ヨセフがマリアと共に選ばれた理由はここにあるのではないかと思うのです。
インマヌエルとは「神は我々と共におられる」という意味です。神様が私たちと共にいる。コロナ禍で仕事を失くした人と共に、老人ホームや病院から出られずにいる人と共に、将来に希望を持てない若者にも、病気で苦しむ人にも、トランスジェンダーの人にも、不条理な戦いで命が脅かされている人にも、神様は共にいてくださっている。私たちがそのような人たちの心の傍らにいることが、主の愛のしるしとなるのです。来週はクリスマスです。私たちもまた、ヨセフが決意したように、主の愛に生きる決意を新たにしたいと思うのです。