ユダとユダに手引きされた人々がついに主イエスを捕らえるためゲッセマネの園にやって来ました。ユダは、自分が近づいて挨拶を交わす人が主イエスだと、前もって打合せしていました。ユダは素知らぬふりをして主に「先生、こんばんは」と挨拶をし、キスをしました。それを合図に人々は主イエスを捕まえたのです。イエスを守ろうとした弟子の一人が持っていた剣を抜いて、ひとりの耳を切り落としました。その時主イエス様はペトロに「剣をさやに納めなさい。剣を取る者は皆、剣で滅びる…。」と諭され、そして、主はユダヤ当局者たちに、どうして境内にいるときに捕まえなかったのかと、問われ、しかしこれは聖書の預言の成就であることを宣言されたのでした。主はこのような状況でも、弟子たちを思いやっていました。ヨハネ福音書には「私を捜しているのなら、この人々は去らせなさい」と主の言葉が記されています。11人の弟子たちは、恐怖と混乱の中、散り散りになりながら主を置いて逃げていきました。
ペトロは「あなたのことを知らないなどとは決して申しません」と言っておきながら、後にペトロは3度主を知らないと言ってしまうのです。他の弟子たちも同様でした。人はイエスを裏切りました。しかし、主はそのこともすべてご存知でした。それでも彼らを弟子とされ、愛されたのです。
今、世界は危機的な状況に置かれています。ロシアによるウクライナ侵攻によって、理性的な判断が麻痺しつつあります。日本も、岸田首相が大幅な軍事力の強化を明言しました。その中には、核爆弾が使用されそうであれば先制攻撃も認められるという、これまでの専守防衛の枠を大きく超えた考え方も含まれています。日本はまた、戦争ができる国になるのです。そして、それは主が語られたように滅びの道なのです。弱きものが助けられ、主の正義がなされる事を祈りつつも、報復が報復を生まないように、今こそ主の「剣を納めよ」という言葉に私たちは真剣に向き合わなければならないのです。