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1/29 礼拝メッセージ「不当な裁判」

 イエス様が受けた裁判は、非公式で緊急なものでした。普通、裁判は日中に行われ、日中に終わらなければならず、また、過越しの祭りの期間中、裁判は禁じられていました。それでも、このように事を運んだのは、エルサレム神殿で主が語られた教えや行いが、彼らにとってあまりにも脅威であったからです。両替商人を追い出したこと、サドカイ派、ファリサイ派、律法学者の人々への非難。何より民衆は主イエス様を「ダビデの子にホサナ!」と叫んで迎え入れました。民衆は、主イエスに救世主を確かに見ていたのです。ユダヤの権力者たちからすれば、暴動にとどまらず、新たな王が誕生するかもしれないという不安に駆られたのです。権力者たちは、主イエス様を亡き者としなければならなかったのです。

 

 大祭司は、「生ける神に誓って、我々に答えよ。お前は神の子、メシアなのか。」と問いました。「それはあなたが言ったことです。」この答え方は、日本人の感覚からすれば、明言を避けた言い方に思えますが、ユダヤの習慣では、重大な問題に対してはこのような言い方がなされていたのです。何より、この答えが最大限の肯定であったことは、大祭司の反応から分かります。主イエス様はさらに「あなたたちはやがて、人の子が全能の神の右に座り、天の雲に乗って来るのを見る。」と語りました。ご自身がメシアであることだけでなく、再び、神の右の座に座り、戻ってこられることを語られたのです。それは、再臨の主が、大祭司らを逆に裁きの座に立たせるということを意味していました。この答えを聞き、大祭司は服を裂き、「神を冒涜した」と死刑の判決を下しました。

 

 主の教えに生きようとして罪に問われた時、私たちが、この世の権力者の前で、イエス・キリストこそ私の主と告白できるように、上からの力をいただきましょう。使徒ペトロがしてしまった3度の否認という一生の後悔の出来事のようにならないために。