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2/19 礼拝メッセージ「ピラトの前で」

 ポンテオ・ピラトはローマ市民としては騎士に属する名門の家柄で、ユダヤ属州の総督として10年間その地位にありました。10年もその任にあったということは、彼が有能であったか、皇帝に気に入られていたかのどちらかです。そのような彼の任期の後半で、主イエス・キリストと出会ったのです。

 

 ポンテオ・ピラトは「お前がユダヤ人の王なのか?」と主にただしました。それに対して主は「それはあなたが言っていることです」と、最高法院で答えた言葉以外は何も言いませんでした。ユダヤの議員らは、一生懸命主に罪を着せようと訴えていましたから、この主イエスの沈黙は、逆にピラトに「あのようにお前に不利な証言をしているのに、聞こえないのか」という質問を引き出したのです。ピラトはこれまでも、多くの罪人を裁いてきました。ほとんどの人は、ポンテオ・ピラトの前で、一生懸命自分の正しさを主張し、無罪であることを訴えたことでしょう。ピラトは、ユダヤの王が何を語って、自分の無罪を主張するのか、楽しみだったに違いありません。しかし、その思いは、見事に裏切られました。自分の命を救おうとして、一生懸命弁解する人々とは違うものを感じたからこそ、彼は「不思議」に思ったのです。

 

 主はピラトの前で、沈黙を貫きました。主は人間の罪の贖いというご自身の進まれるべき道を進んでおられました。多くの「うそ」があふれかえっている現代において、私たちも自分の信仰を守るために、多くを語るのではなく、その歩みをもって人に証しする勇気が大切だと思わされるのです。ピラトの前に立たされた主イエス様でしたが、逆を言えば、主イエス様の前にピラトこそが立たされたのです。私たちも、主イエス様の前に立たされる時が来ます。その時に私たちはどのような思いで立つことができるのでしょうか。