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4/2 礼拝メッセージ「キリストの葬り」

 夕方になり、アリマタヤ出身で最高法院の議員であったヨセフが、主のご遺体を引き取ることを総督ピラトに申し出ました。このようなことをすれば、立場的に危うくなることは目に見えていましたが、彼は勇気を振り絞ってイエス様のご遺体を引き取ることを申し出たのです。さらにヨハネ福音書にはニコデモという議員もヨセフに協力したことが記されています。彼も勇気をもって葬りの備えとして30キロほどの香料を携えて、アリマタヤのヨセフの誰も入っていない横穴式の墓に葬ったのです。しかし、この時、安息日が始まる時刻が迫っており、十分な清めができず、香料を添え、亜麻布に包むだけで葬ったのです。その様子を、主に香油を注いだマグダラのマリアと、もう一人のマリアが見て、安息日が明けたら、もう一度しっかり葬ろうと、彼らの後について来ていたのでした。

 

 しかし、この主のご遺体の引き取りに反対な者たちがいました。それは祭司長、ファリサイ派の人々です。彼らは、アリマタヤのヨセフの申し出に驚き、そこに何かたくらみがあるのではと邪推したのです。そして、次の日の朝、ピラトに「イエスは『自分は3日後に復活する』と言っていたのを、思い出しました。ですから、3日目まで墓を見張るように命令してください。」と番兵をつける許可を得たのです。こうして、主の墓に封印をし、番兵が置かれたのです。

 こうして主はアリマタヤのヨセフの墓に葬られました。主は、使徒信条にあるように、陰府(よみ)に下りました。キリスト教神学では、この時主は、すでに召された人々に福音を告げるために陰府に下ったという解釈がなされています。こうして全時代、全世界の人々に福音が告げられたというのです。

 

 この時11人の弟子たちは、主の葬りに何ら関与していません。葬りとは、最後の別れの時であり、人間のなすことができる最善の行いの一つだと思いますが、弟子たちはそれをすることができなかった。しかし、癒されない痛みを抱えた彼らに主は復活し、現れてくださったのです。私たちにも癒されない痛み・悲しみがありますが、だからこそ主の復活は、私たちの希望となるのです。次週ともに主の復活を喜びましょう。