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4/16 礼拝メッセージ「信じられない報告」

 主イエス様の墓を見張るために大祭司らが手配した番兵たちは11節で「数人の番兵」と書かれていますが、これは報告に戻った番兵の数なので、実際、墓で見張りをしていたのは2~3人ではないと考えられます。彼らは主イエス様が復活された時、天使が現れ、死人のようになりました。きっと気絶していたのでしょう。彼らが意識を取り戻し、墓を見ると墓の封印が破られ、そこにイエス様の遺体はありませんでした。そのことを大祭司に報告すると、大祭司らは集まり、事態を収拾しようと、夜中に弟子たちが盗んだことにしました。

 

 しかし、この記事で重要なのは、墓が空になったということを、ユダヤ当局が認めているところです。別の死体を用意すれば、甦ってなどいないと言えたかもしれませんが、さすがにそれでは、嘘の上塗りでさらに収拾がつかないことになったでしょう。イエスの遺体は、番兵が寝ている間に盗み出されことにして、その真実を知る当事者の番兵には、口封じに多額の金を与えたのです。彼らの中には、3日目に甦ると言われた主イエスの言葉が本当だったと思った者もいたでしょう。しかし、彼らはそれを受け入れられなかったのです。事実を知ってもなおそれを受け止められない気持ち。彼らは主が十字架につけられた時、十字架から降りてきたら信じてやろうと言いましたが、もし主が十字架から下りてきても彼らは信じられなかったでしょう。「見ないで信じる者は幸い」と主イエス様は、トマスに言いましたが、見ても真実を受け止められない人々がいるのです。マタイ福音書は、私たちにそれを告げているのです。

 

 主イエス様は甦られました。「わたしは甦りです。命です。わたしを信じる者は、死んでも生きるのです」このキリストの言葉は、そのまま信じるに価します。そして2000年来、多くの人々が信じてきました。彼らは、自分たちと自分たちの人生に、キリストの復活の命を体験してきました。人生の変革、それ自体がキリストが生きて働いておられる証拠です。