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5/7 礼拝メッセージ「人生を生き抜くために」

 ヘブライ人への手紙から、改めて主イエス様の存在について学び、困難な人生を生き抜く道を見出したい。

 手紙とありますが、他の手紙と違い、本文中に書き手の名前も宛て名も記されておらず、説教としての要素が強いのです。また内容が主イエス・キリストを大祭司として位置づけて書かれていることや、旧約聖書からの引用が多いこと、著者、読者共にユダヤ律法や祭儀を理解している人々であることから、著者はパウロに近いバルナバやアポロの名前が挙げられています。著者は、ユダヤ教を信じている人々に、主イエス・キリストが、私たちの罪を贖ってくださった大祭司なのだということを主張し、正統な教えであることを説いています。

 

 そのようなことを理解して1-2節の「神は・・・この終わりの時代」を読むと、より理解が深まります。主なる神は、ユダヤの民と契約し、律法を授け、神の民とされましたが、この終わりの時代、御子が遣わされて、万物の相続者とされたと記しています。そして、この世界も御子によって創造されたと旧約聖書の理解から一歩踏み込んだことが記されています。なぜなら、3節「御子は神の栄光の反映であり、神の本質の完全な現れ」だからです。このような理解がイエス・キリストをメシアと信じる弟子の間で少しずつ深まって固まって、神の子でありながら、神ご自身と同じ存在と、キリスト教の三位一体の教義が確立していくのです。ですから、聖書を読んで間もない方は、無理やりイエスは神だと信じなくてもいいのです。イエス様とは誰なのかを問い続けながら、少しずつ聖書を学んでいくと、他の誰より「自分の人生にとってなくてはならないお方」と思えるようになります。それが信仰です。そうやって信仰という心の柱ができれば、もう自分中心の考え方で苦しむことは少なくなります。世界の見方もがらりと変わって、絶えず希望を持ち続けることができます。死に直面しても悲しみや寂しさ以上に心穏やかに迎えることができるのです。

私たちは「終わり」を意識させられている時代に生きています。このような時代だからこそ、私たちは、本当に頼るべき存在が必要なのです。