· 

7/16 礼拝メッセージ「不変の事柄」

今日の聖書箇所では、主なる神様がアブラハムに約束した「わたしは、必ずあなたを祝福する」という言葉と18節「目指す希望を持ち続けようとして世を逃れてきた私たちが、2つの不変の事柄によって力強く励まされるため」という言葉が重要です。神様は「必ず祝福し、子孫を大いに増やす」と語られました。しかし、当時のユダヤ人クリスチャンは、その言葉を疑いたくなるような現実に直面していました。エルサレム神殿は破壊され、自分自身も難民のようになり、さらにローマ帝国による迫害もありました。18節の「世を逃れてきた私たち」という言葉の背景には、そんな彼らの厳しい現実があったのです。

 

しかし彼らには、そのような困難を耐えるだけの希望があり、その希望を保証する2つの不変の事柄があったのです。その不変の事柄というのは、1つはアブラハムへの神の言葉(契約)です。主なる神様の言葉は何よりも確かで絶対です。イスラエルの歴史において、何度も主なる神をないがしろにした結果、バビロン捕囚も経験しました。それでも主はイスラエルを再建させて下さり、来るべき日には油注がれた王、メシアを送ってくださり、私たちの悲しみ苦しみの涙は、喜びの涙に変わると信じていたのです。そしてもう一つは、イエス・キリストの復活と、それを証言した弟子たちの姿です。実際に十字架にかかって死んだイエス様が甦り、そして天に昇っていった姿を弟子たちははっきりとその目で見たのです。この二つの事柄は、まさに「安定した錨」のようなものでした。この不変の事柄は、私たちへの言葉でもあります。私たちは、高度経済成長時代を過ごし、国民総生産が世界第2位の経済大国に日本がなったと喜んだ世代ですが、現在は20位あたりだそうです。後進国と呼ばれた国々の更なる台頭や、地球の温暖化による気候変動など、どう考えても明るい未来など描けません。それでも、私たちには不変の事柄、不変の希望があります。イエス様が言われたように、終わりの日が来たとしても、変わらぬ希望を仰ぎ見、耐え忍ぶものは幸いなのです。主は私たちを今もとりなして下さっているからです。