メルキゼデクは、サレムつまりエルサレムの王であり祭司であった人物です。アブラハムは、彼にエジプト連合軍との戦いで得た戦利品の中から、10分の1を献げました。メルキゼデクの存在こそ、神と人を結ぶ律法の原点だと、ヘブライ人への手紙の著者は考えていました。それは新たな律法理解(アップデート)とも言えるのです。アップデートというのは、日本語で「更新」という意味です。日本語の更新は、期間を延長するという意味合いが強いですが、コンピューターやスマホ、アプリなどの更新・アップデートは、細かな修正を施して最新の状態にすることを指します。最悪このアップデートをしないと、使えなくなってしまうということも起こります。
神様と人との契約も、アブラハムが交わした契約(創世記17:1-)以前にノアとの契約(創9:9-)があり、アブラハムとの契約の後には、モーセとの契約(出19:1-)があり、ダビデとの契約(サム下7:1-)があります。そして、エレミヤ書31:31-34には新しい契約についての預言があり、主イエス様が制定された聖餐による契約があります。これらは別々の契約ではなく、救いの契約のアップデートなのです。ヘブライ人への手紙の著者は、16節「肉の掟の律法によらず、朽ちることのない命の力によって立てられた人」大祭司イエス・キリストは今もなお生きておられ、25節「ご自分を通して神に近づく人たちを、完全に救うことがお出来になる」と記しているのです。このようにヘブライ人への手紙の著者は、様々な困難の中で、キリストへの信仰を見失いそうになっている読者の心をイエス・キリストに向かせようと彼らの心のアップデートを願っているのです。私たちも御子イエス・キリストによるただ一度の十字架の死という完全な罪の贖いの献げものによって、律法から解放されているのです。
ですから、私たちが礼拝の中でお献げする献金は、赦しのためではなく、感謝と献身を示すものなのです。私たちは主イエス様を信じる信仰によって、神様に赦され正しいものとされるのです。