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7/30 礼拝メッセージ「救いのアップデート2」

 この8章は、7章をまとめた内容となっています。19節「律法が何一つ完全なものにしなかったからです。しかし他方では、もっと優れた希望がもたらされました。」とこれまでのユダヤ教そのものが、不完全なものだったと著者は主張しているのです。これはローマの信徒への手紙3:21「なぜなら、律法を実行することによっては、誰一人神の前で義とされないからです。律法によっては、罪の自覚しか生じない」ということと共通しています。そして、エレミヤ書の言葉も引用して、主イエスの存在こそ、私たちが信じてきた契約の新しい契約、アップデートされたものなのだと語ります。この手紙が書かれたもっと後の時代ですが、マルキオンという信仰者は、旧約聖書の部分は不要と考え、ルカによる福音書とパウロの手紙だけを聖書にしようと考えました。この極端な考え方で、彼は異端とされてしまうわけですが、彼がきっかけで、キリスト教の正典、つまり正しい教えを記した文書をキリスト教会は編集することになり、旧約聖書もまた、神の言葉が含まれているとして聖書の一部をなしています。

 

 旧約聖書のある部分は、神様との契約を根拠にユダヤ人だけを選ばれた民と強調して他民族への抑圧を正当化することに使われたり、人種差別を肯定する人々の根拠にもなってきました。(創世記9章18節以下など)そのように聖書は、奴隷制度が日常であった時代を背景に書かれていますから、奴隷制度を肯定するような言葉もありますが、神の前に平等であることが常識となった今日、書いてあることを全くそのまま私たちの生活に適用してはならないのです。誰より、主イエス様がそれまでの聖書の読み方をアップデートされた方でした。み言葉に生きるとは、聖書に書いてあることをそのままうのみにして生きるということとは違うのです。よく噛んで食べて味わうということが、聖書を読むうえで大事なのです。何度も読んでいると新しい発見があります。信仰の友との分かち合いも、きっとあなたの信仰のアップデートにつながるでしょう。聖書の読み方もアップデートが必要なのです。