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8/13 礼拝メッセージ「平和を人質にされた世界で」

 78年前の第2次世界大戦の敗戦から唯一学んだ平和の尊さを後世に語り継ぎ、平和憲法を守らなければならない、私はそう思っていました。

 

 しかし、ロシアによるウクライナ侵攻は、核兵器を使用する第3次世界大戦につながる不安を抱えています。いや、すでにロシアやロシアを支援する国々と、ウクライナを支援する日本を含む国々との第3次世界大戦は始まっているともいえるのです。私たちキリスト者は、どのように考えればいいのでしょうか?

 

 結論から申しますと、平和のために戦うしかない。それが核兵器使用を含む第3次世界大戦となり、人類が滅亡するのなら、それが聖書の語る世の終わりだということです。聖書には「悪人に手向かってはならない。誰かがあなたの右の頬をうつなら、左の頬をも向けなさい。あなたを訴えて下着を取ろうとする者には、上着をも取らせなさい」(マタイ5:38)「敵を愛し、自分を迫害するもののために祈りなさい」(同44)、「自分で復讐せず、神の怒りに任せなさい」(ローマ12:9)とキリスト者は、無抵抗を貫くことを勧めています。

 

 しかし、同時に今日の聖書箇所にあるように、主は必ずしもこの地上が完全な平和な状態に置かれないことも語っておられました。「戦争の騒ぎや戦争のうわさを聞いても、慌ててはいけない。そういうことは起こるに決まっている」(マルコ13:7)。聖書の語る最終的なメッセージは「神の国は近づいた。悔い改めて福音を信じなさい」ということであり、「最後まで耐え忍ぶものは救われる」ということなのです。何より、罪なき人々が苦しむ様を見て見ぬふりをすることを、イエス様は許されるのだろうか?ウクライナの人々に、世界の平和のために、自分の国を差し出しなさいと言える人がいるでしょうか。少なくとも、武力行使した方が勝ちという前例を作ってしまったら、第2第3のロシアに他国を侵略する口実を与えてしまうことになります。武力で対抗してでも、ロシアの暴挙を、暴挙であったと世界が知らなければならないのです。

 それでも、私たちは神様に祈りましょう。私たちの子どもや孫たち、世界中の未来ある子どもたちのために。この世界がまだ続くことを。