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9/10 礼拝メッセージ「救いのアップデート③」

 9章の後半も、地上と天国での礼拝の比較の続きです。そのことを理解するためのキーワードが23節「写し」という言葉です。昔の口語訳聖書では「ひな型」、英語では、パターンという単語が使われており、「模型」とも訳せる言葉です。ひな型というのは、あらかじめ作られた形や構造のことです。人はどのようにして、神様に赦され、神の民とされるのか。これは宗教一般に通じることですが、大切なものを神に献げることで、神に恭順を示すということです。大切なものと言えば、一番は自分の命であり、次に家族の命です。アブラハムが息子イサクを神に献げようとする姿が描かれているのもそのためです。私たちからすれば、なんと残酷なことと思ってしまうわけですが、神様を礼拝する本質は、「大切なものをささげる」という点においてはなんら変わっていないのです。そしてその身代わりとして、ユダヤ教では、人ではなく傷のない最上の家畜を献げること、また、出エジプト記にあったように、血によって清められるという律法が成立したのです。これをヘブライ人への手紙の著者は、天の国の「ひな型」「写し」と理解しました。天の国の「写し」でない本当の至聖所では、動物の血ではなく、より完全なイエス・キリストの血が必要だったと語るのです。

 

 そして、もう一つのキーワードが「ただ一度」です。主イエス様は罪を取り去るために、十 字架にかかり、私たちの罪の身代わりになって下さった。その赦しの力は、ただ一度で十分なのだということを伝えたいのです。

 

 また、主が来られたのは世の終わりであったということです。28節には、「2度目には、罪を負うためではなく、ご自分を待望している人たちに、救いをもたらすために現れてくださる」とあります。主の再臨はいずれとか、やがてというほど遠い未来ではないと思うのです。少なくとも、私の今まで生きてきた人生よりは確実に早く、神様の前に立たされることを考えれば、自分の終わりを意識して生きなければならないと思わされたのです。今月は創立記念・召天者記念礼拝が予定されています。先に召された方々のことを偲び、今自分が次の世代に何を残していけるのかを考えていきましょう