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9/17 礼拝メッセージ「どうか分かってほしい」

 ヘブライ人への手紙10章は、これまでの1章から9章までのまとめです。繰り返される贖いの儀式と、そこで献げられる動物の血は、繰り返されるということこそが、効力がない事の証拠であり、大祭司は、年に一度至聖所に入って動物の血をもって罪の贖いの儀式をしたが、イエス・キリストは本当の至聖所である天に行き、ご自身の血をもって、罪を赦してくださった。詩編40編にあったように、聖書には、罪の贖いの儀式を否定しイエス・キリストの到来を預言しているではないかと、ヘブライ人への手紙の著者は語るのです。確かに旧約聖書は、律法に基づいた神殿祭儀の重要性と共に、それを否定する預言者の存在が記されています。イザヤ1:11―13、エレミヤ6:18-20など。これらは、真実の悔い改めを伴わない形式的な儀式など、神は喜ばないという預言の言葉ですが、エレミヤ31:31のように新しい契約が提示されてもいるのです。

 

 しかし、ここまで何度も同じ話を繰り返す必要があったのは、この手紙の読者は、キリストの教えの初歩から離れられないユダヤ教の教えとの間で迷っていた人々です。彼らの救いを真剣に思い、ヘブライ人への手紙の著者は、天使との違いや大祭司メルキゼデクの存在など色々な旧約聖書を引用して、慣れ親しんだ律法を離れ、イエス・キリストを信じるように書き送ったのです。

 

 慣れ親しんだ生き方から離れるということは、たやすいことではありません。それでも、どうか分かってほしいと、ヘブライ人への手紙の著者は読者に書き送ったのです。私たちも、大切な人々にイエス様の素晴らしさを伝えようとすると、受け入れてもらえず、伝えることが無意味なのではないかと諦めがちです。もうこの人は、神様に選ばれてないと、自分を納得させたりもします。しかし、この手紙の著者のように、何度も繰り返し伝え続けること、その熱意を私たちは、この手紙から学びましょう。