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10/1 礼拝メッセージ「恐れはどこから?」

 ヘブライ人への手紙10章の後半は、私たち自身の生き方に目が向けられています。19節「兄弟たち」という呼び掛けは、お互いを神の家族として理解していることの表れです。そのような前提に立って、クリスチャンにとって礼拝は改めて言うまでもなく、一番大切な営みです。

 カンバーランド長老教会の『信仰告白』では礼拝について「礼拝は神の臨在の証言であり、祝いであり、教会生活の中心であり、人がキリストにあることの宣言」だというのです。ですから、24~25節に記されているように「集会を怠ったりせず、励まし合う」のです。

 私たちはイエス・キリストいう「新しい、生きた道」を通って神の前に進み出ることが出来ます。だから「信頼しきって、真心から神に近づこうではありませんか」とヘブライ人への手紙の著者は語りますが、それでも私たちは、神様に近づきがたい気持ちを持っています。救われていないのではないかと不安になります。そのおそれの原因は、自分の心に秘めているやましさでしょう。その原因は神ではない「力」にどこか頼っていることを自分自身気が付いているからです。神様に向かって生きないで、別のものに頼って生きているなら、29節「どれほど重い刑罰」を受けることかとヘブライ人への手紙の著者は警告します。しかしそれが、人間の弱さなのです。アダムとエバから脈々と受け継がれている罪の遺伝子なのです。

 

 このようなことから、私たちの信仰は「かの日」が来るまでは決して完成されるものではありません。しかし、主は言われます。『私の元に来なさい。休ませてあげよう』と。ひとりが倒れそうになった時、誰かが支え、今度はその人が倒れそうになったら、他の人が励まし支える場所が教会であることを、主イエス様は望んでいます。