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10/29 礼拝メッセージ「掟を生きるために」

 イエスに対して律法の専門家が尋ねる。律法の中でどの掟が最も重要か。イエスの答えは、愛を勧める言葉であった。第一の掟として申命記6:5を示された。それは、私たち人間が、全存在をかけて全身全霊で神を愛することである。第二の掟もこれと同じように重要であると語られた。第二の戒めにはレビ記19:18を用いられた。これは、隣人愛の勧めである。二つの戒めに優劣はなく、補完関係とも言えるように二つの愛を生活の中で示していくことが大切なのだ。愛を受けている者の応答として掟が定められている。掟を守るから愛を受けるのではない。愛されているからこそ掟に従えるのだ。

 

 今日、イエスから二つの戒めを聞いた。どのように理解し、どのように実践できるのだろうか。とかく、戒めは守らなければならないという律法主義が優位になりがちだ。また、自分に掟を守る力や情熱があると信じて実践しようとする場合もあり得る。神の愛は、野放しではない。神の愛にとどめて愛される。留まり続けるとどうなるのか。詩編1:3に示されている。ここに留まり続けるからこそ、ときの流れで自然と実を結び、愛の実りという繁栄がもたらされる。何の努力もせずにこのようなことが起こり得るのか。

 

 これを実践したのが人となられた神の子イエスである。イエスは「あなたはわたしの愛する子」という愛の言葉の注ぎを受け続けておられた。イエスを信じる私たちにもこの言葉を聞ける可能性がある。この可能性は、イエスにとどまって高められる。イエスに留まれば聖霊が注がれ愛に燃やされるのだ。愛は、神を喜び、賛美し、隣人に仕える。愛は、注がれ続け、溢れ出し、循環する。掟を自発的に実践せずにはおれないほどの愛をイエスから受け続けていこう。