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12/24 礼拝メッセージ「救い主の誕生」

 ウクライナ、パレスチナ、ミャンマーと世界中で悲惨な戦いが続いている中、「平和」について思い巡らす中で、切実な疑問が私の心を支配するのです。「イエス様は、本当に救い主だったのか」と。

 

 イザヤ書9章は、イエス様の誕生を預言している箇所で、6節「平和は絶えることはない」とあります。しかしイエス様が生まれてから約2000年、平和な時代が果たしてあったでしょうか?他国を侵略して築いた平和と繁栄を果たして平和と言って良いのか、歴史を学べば学ぶほど疑問に思います。何より、イエス様が生まれた時でさえ、身重な女性を泊める場所がないほど、人の心は狭く醜かったのです。

 

 しかし、それでも主イエス様はメシア、救い主なのです。事実私たちは人生の暗闇の中で、主イエス様に光を見ました。生きる力を与えられました。それは2000年間輝き続けている光です。羊飼いや、東の国の学者らが見て、導かれた、私たちも聖書を通して見ている確かな光です。母マリアは19節「これらの出来事をすべて心に納めて、思い巡らしていた」と記されています。このすべてというのは、ただ単に不思議な来訪者があったことにとどまらず、主イエスの生涯、そして十字架による死と復活のことを指しているように思うのです。主の十字架と復活の出来事によって、私たちは主イエス様が、私たちの救い主と告白できるのです。

 

 人類の歴史は戦いの歴史です。これはこれからも変わらないでしょう。しかし、そのような中にあって、私たちは「インマヌエル、神が共におられる」ことをクリスマスの出来事を通して、イースターの出来事を通して、ペンテコステの出来事を通して、そして日曜日ごとに守る礼拝において、聖書を読み祈る中で確認するのです。2000年前、信仰深い人々が願ったように私たちも、心から祈りましょう。「いと高き所には栄光、神にあれ、地には平和、御心にかなう人にあれ」と。