聖書はイエス・キリストの誕生の前に、イエス様と同じように不思議な形で誕生した一人の人物を伝えます。それが、洗礼者(バプテスマ)のヨハネです。
ヨハネの両親である年老いた祭司ザカリヤとエリサベト夫婦は、子どもがいない悩みを抱えていましたが、一生に一度の「聖所に入って香をたく」という役目が与えられた時、天使から子どもを授かると告げられました。しかしザカリヤは、「何によって私はそれを知ることができましょうか」としるしを求めてしまい、口が利けなくなるといううれしくないしるしをもらってしまうのです。
そして、この不思議な出来事の後、ザカリヤの妻エリサベトは身ごもり、男の子を産んだのです。ザカリヤが「この子の名はヨハネ」と人々に示した途端、彼は元通り話せるようになり、神を賛美しこの68節以下にあるように預言をしたのでした。
この預言は、イスラエルの救いの歴史と預言に根差しています。ダビデの家系から、その救いが現れることが預言され、また、人間の究極的な幸福の姿が記されています。「あけぼのの光が我らを訪れ、暗闇と死の陰に座している者たちを照らし、我らの歩みを平和の道に導く」と、私たちの真っ暗闇な人生に光が与えられることをヨハネの父ザカリヤは預言し、息子ヨハネが、イエス・キリストに先だって人々を悔い改めさせ、道を備える者として生きることを、そしてその主イエスこそ平和の道に導く存在であることを預言したのでした。
アドベントの飾りつけをして、暗闇に光が必要なことを改めて実感しました。私たちは明るくきれいなところだけを見ていてはいけない。私たちは非力ですが、それでも苦しんでいる人に寄り添い、共に生きることを主は飼い葉おけにお生まれになったことで、私たちに語り掛けていると思うのです。