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1/21 礼拝メッセージ「主イエスはいつまでも」

 この部分では、①指導者を思い出すこと②聖書の教えを吟味すること③み名をたたえる唇の実を献げるということを語っています。

①指導者を思い出す 皆さんが教会に来るきっかけを作ってくれた人はどなたでしょうか?私は、濵崎先生やこうして礼拝を共にしている皆さんお一人お一人から、今もいろいろなことを教えられ、励まされています。またこの渋沢教会の土地や最初の礼拝堂・幼稚園園舎はアメリカのカンバーランドの人々の献げ物によって建てられましたし、この会堂を建てるときに中会からお金を借りましたが、その原資ももとは、アメリカのカンバーランドの方々の献金なのです。ですから、ここで礼拝できるというのはアメリカのカンバーランドの人々の祈りでもあるのです。

②聖書の教えを吟味する 使徒言行録10章以下には、ペトロが清くないものを食べなさいという幻を見、ペトロがそれを拒んだことが記録されていますが、それまでユダヤ人として大事にしていた食物規定や割礼などについて何が本当に大切なのかを考えた結果、割礼やエルサレム神殿での贖罪祭儀が不要なことや、安息日の土曜から日曜への変更につながりました。それが10節にある「私たちには1つの祭壇がある」ということです。すわなち大祭司イエス・キリストによって据えられ、ご自身が罪の贖いの供え物となり、そして甦られた祭壇です。もう罪の贖いのために別のものを供える必要がない祭壇です。

③み名をたたえる唇の実をささげるということ 歌が好きだからとか、歌を歌うと気持ちがいいから、賛美するのではなく、神を思う想いが唇の実となり、それが賛美としてささげられるということです。

 

「イエス・キリストは昨日も今日も、また永遠に変わることのない方です。」様々な試練が起き、つまずくようなことがあっても、主は変わらずに、私たちを愛して来るべき都に招いてくださっている。私たちは、命ある限り、言い尽くせない感謝、言葉にできない喜びを、賛美を通して主にささげましょう。