ヤコブ書を読み解く上でキーワードがあります。それは「忍耐と知恵」です。主なる神様に従う時、それは間違いなく神の国へとつながっていますが、平坦で楽な道ばかりではありません。「なんで神様…」とつぶやき、嘆かざるを得ないような試練を「この上のない喜びと思う」(2節)など普通はできないのです。しかし、ローマの信徒への手紙5:3-5「苦難をも誇りとします。…苦難は忍耐を、忍耐は練達を、練達は希望を生む」という使徒パウロの言葉が示す通り、苦難も自分にとって神様が与えたものと受け止められるなら、希望に変わるのです。それを可能とするのが、「知恵」なのです。箴言2章「知恵に耳を傾け、英知に心を向けるなら…神を知ることに到達するであろう」。知恵は神様からのギフト、プレゼントです。そしてこの知恵は「主を恐れることは知恵のはじめ」(箴言1:7)とあるように、神様から与えられた知恵によって神様を畏れ敬うことができ、忍耐もそこから生まれるのです。そして忍耐という知恵が新たな、練達につながっていくのです。神様からの知恵があるから、忍耐でき、忍耐する中で新たな神との出会いを経験することができるのです。しかし6節の「揺れ動く海の波」のような心であることは、私たち自身が一番知っているのではないでしょうか?
ヤコブ書は、このような心では、神様から何もいただけないと語りますが、もっと悪い心の状態が、揺れ動いているにもかかわらず、心が揺れ動いていないような態度を示すこと、正論ばかりを言って弱っている人を追い詰めるようなことをしたり、逆に神様から受けた恵みをタラントンのたとえのように無駄にしてしまうことです。
一番大切なこと、それは正直であるということだと思います。貧しさを耐え忍べと言われて、そのまま餓死するほどまで耐え忍ぶことが、本当に大切なのかということです。そのような弱音は吐いてはいけないというのは、ファリサイ派や律法学者のようだと思います。主イエス様が私たちに求めておられるのは、人を愛するためにできる精一杯の忍耐をすることだと思うのです。