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2/18 礼拝メッセージ「富の惑わし」

 この箇所には、貧しい兄弟と富んでいる者という相対する人々への勧めが語られています。このヤコブ書が書かれた時代は、能力や努力ではない「身分」によって、人が区別され、それによって経済的な格差がはっきりとしていた時代でした。身分の違いは差別を生みます。9節の「貧しい」という言葉は「身分が低い」と言う意味の言葉が使われています。現代においても、様々な境遇の人がおり、それと同時に貧富の差はあり、多くの犯罪がお金に起因していることは、言うまでもありません。

 

 ヤコブの手紙の著者は、主イエス様がそうであったように、この世の富は仮のものであり、神と富とに兼ね仕えることができないことを読者に語ります。貧しいことを誇れ、神様があなたを天の国で高めてくださる、富んでいるものは低くされることを誇れ、そのまま富んでいればいずれは、きれいな花を咲かせていた草花が枯れるように、滅ぶのだからと語ったのです。

 

 聖書は基本的には、貧しい者の側に神様は立ってくださっていることを語ります。聖書が教える究極の宝は、今持っているこの世の富を手放さなければ新たに手に入れることはできない。そのようにこの世の貧しさこそが究極の豊かさにつながると教えています。

 では、そこそこ生活できる私たちはどのように生きればいいのでしょうか?そのヒントが「花」です。美しい花は、美しく咲くことが目的ではなく、子孫を残すためにより多くの虫たちを集めるために、あのように美しい花を咲かせるのです。それと同じように、私たちが生きるということも本来の目的が大事なのではないでしょうか?私たちは心が満たされるよう、この人生を楽しんで生きたいと思います。しかし、それは本当の目的ではありません。私たちのこの人生は、神の国で生きる前段階のものでしかないのです。神様から豊かにされたのであれば、その豊かさを分け与えることが、この地上での神様からの使命なのです。ですから、豊かであることも恐れず生きましょう。イエス様がその命を与えて、私たちを救ってくださったことを思い出しながら。