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4/7 礼拝メッセージ「復活 それから①」

 マタイ福音書は復活後の主について、他の福音書に比べて余り記していませんが、この28章11~15節は、マタイ福音書独自の記事です。マタイ福音書は、旧約の預言の成就として、主にユダヤ人に対して書かれましたが、空になった墓をユダヤ人たちはどう理解しているのか、という説明が重要だったのです。

 

 まず、大祭司らは、主の弟子らに盗まれないよう主の墓に番兵を配置したのです(27:64)。夜番の兵士は通常、数グループで見張りをし、次のグループと交替したそうですから全員が眠ってしまったということはあり得ないのです。そして、主イエス様が復活された時、天使が現れ、彼らは死人のようになりました(28:4)。きっと気絶していたのでしょう。彼らが意識を取り戻し、墓を見ると墓の封印が破られ、そこに遺体はありませんでした。そのことを大祭司に報告すると、大祭司らは事態を収拾しようと、夜中に弟子たちが盗んだことにしたのです。この記事で重要なのは、墓が空になったということを、ユダヤ当局が認めているところです。彼らは主が十字架につけられた時、十字架から降りてきたら信じてやろうと言いましたが、もし主が十字架から下りてきても彼らは信じることができなかったと思います。真実を受け止められない人々がいるのです。

 

 主イエス様は甦られました。この福音書を記した元収税人のマタイは、「私が来たのは正しい人を招くためではなく、罪人を招くためである」というイエス様の言葉で救われました。マタイが自身の福音書に記した最後の締めは、主イエス様による「わたしは天と地の一切の権能を授かっている。だから、あなたがたは行って、すべての民をわたしの弟子にしなさい。…わたしは世の終わりまで、いつもあなたがたと共にいる。」という祝福と派遣の言葉でした。「いつもあなたがたと共にいる。」これは主のご降誕の時に父ヨセフが夢の中で天使に言われたインマヌエルという言葉でした。マタイは主が語られた言葉を繰り返し思い出し、今も主は私と共にいてくださっているという深い喜びと、主から託された良き知らせを伝える使命を、マタイ自身がかみしめていたと思うのです。私たちも、キリストの復活によって変えられた人生を証していきましょう。