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4/14 礼拝メッセージ「復活 それから②」

 マルコ福音書は、4つの福音書の中で最初に記されましたが、16:8までの元のマルコ福音書には、空になった墓を見た女性たちが、恐ろしさで誰にも言えなかったという部分で終わってしまっています。9節以降の部分が、カッコがついているのは、主要な写本に記されていない個所、つまり後になって書き足されたものなのです。どうしてこのような形になったのか、現代の聖書学者は様々な理由を考えていますが、結論は出ていません。しかし、ルカによる福音書を知っている誰かが、この結びを書き加えたのです。しかしそれは、すでに2世紀ほどにはすでに知られていたので、教会の中で認められて、カッコ付きながら聖書の中に残されているのです。12~13節はルカ福音書の24:13以下のエマオへの道で主イエス様と弟子が出会った記事が要約され、14節以降の部分もルカ24:36以下に記されている主が食事をしてみせて弟子たちを信じさせたことと、17節以降にある「信じる者には次のようなしるしが伴う。…」というのは、ペンテコステを経験した初代教会の信仰告白が記されています。そのことがよくわかる言葉が19節にある「主イエス」という言葉です。16:8までの元のマルコ福音書は一貫して主イエス様のことを「イエス」と記しており、「主イエス」と記されているのはここだけなのです。ですから、マルコ福音書の次にルカや使徒言行録の内容が続くのではなく、この部分は、すでに使徒言行録を要約しているのです。マルコ福音書はペトロの説教から、主イエス様が語られたこと、なされたことを通してメシアであることに焦点を絞り、そして結びを付け加えた者は、17節「新しい言葉」で語ること、20節にあるように「弟子たちは出かけて行って至る所で宣教した」ということを伝えたかったのです。

 

 弟子たちは、主の死によって希望を失っていましたが、復活の主との出会いによって劇的に変えられたのです。そして、主の福音を宣べ伝えたのです。主イエス様との出会い、その言葉、不思議な業、そして十字架と復活と天の住まい。私たちも人が言ったことではない、あなた自身の言葉でイエス様が私の神であり、救い主であると語ることが、福音となるのです。それこそが「新しい言葉」なのです。