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5/26 礼拝メッセージ「舌を制する」

 ヤコブの手紙は私たち読者に「み言葉を行いなさい」と信仰の上に行動することに重きを置いた、いわば聖書の中のスパイスのような存在ですが、1:26でも取り上げられた「舌を制する」ことが改めて語られています。

 

 このヤコブの手紙が書かれた時代はまだ、キリスト教としての教えが定まっていない時代であり、キリストを信じると言っても様々な教えが林立していました。教師と称する人々が様々な教えによって、教会内部を混乱させていたということも、この言葉の背景にあります。そして人は自分が信じる「正しさ」を巡って争ってしまうのです。

 

 舌さえ制することができれば、私たちの世界はどれほど素晴らしいものになるでしょうか。私も言葉で多くの人を傷つけてきました。自分の願望をかなえるために、友人を裏切ってしまったこともありました。言葉によって一度切り裂かれた関係はなかなか修復しません。心には苦い自責の念と後悔が付きまとうのです。

 

 ユダヤの古い格言に「目や耳が二つあるのに口が一つなのは、なぜか。それは多くを語らないように」というものがあります。相手の言うことをしっかり聞いて話すということが大切だということをこの格言は教えています。

 しかし、制御するということは、何もしないということとは違います。言わなければならない時に言わないということは、まちがった制御です。右に曲がると谷底に落ちてしまうならば左にハンドルを切らなければなりません。なさねばならない時に何もしないのは、間違った制御なのです。今世界は、ウクライナ、パレスチナと戦いのさなかにあります。この時代、私たちは何を語り、何をなすべきなのでしょうか?怠惰な沈黙を神様は、喜ばれません。神様は私たちを神の義に招いておられます。「…自分の言葉によって義とされ、また、自分の言葉によって罪ある者とされる。」(マタイ12:37)主イエス様の言葉です。