この詩編73編の詩人は神がイスラエルに対して良い方であることを知っていますが、それでも悪者が繁栄し、義人が苦しむ現実に直面します。まさにヨブ記のヨブのような状態です。誠実に生きているのにもかかわらず、災いが襲い掛かるという不条理を、皆さんも経験してきたのではないでしょうか?今はやりのチャットGPTに質問すると「短期的な利益・リソース(資源)の活用・社会の盲点・魅力とカリスマ・社会の不公平・恐怖と抑圧」などが原因と答えが返ってきました。これは簡単に言えば神様を恐れないということになると思うのです。愛であり善である神を恐れず、自己中心的に生きる。権力者が、その権力で思いのままにし、人々を抑圧するからこそ、思い通りの生き方ができるのです。しかし、それはこの地上では可能かもしれませんが、最終的に私たちは、神のみ前に立たなければならなくなるのです。
詩人は神殿に入り、神の臨在の中で悪者の最終的な運命を理解しました。彼らの繁栄は一時的であり、最終的には滅びる運命にあることを示されるのです。そして詩人は自分の疑いと悔い改めを告白し、神の近くにいることの祝福を感謝するのです。「神はとこしえにわたしの心の岩」(26節)と。
私たちは私たちの信仰の旅路の中で、多くの困難や試練に出会います。自分が期待していた結果を得られないかもしれません。それでも神の計画と導きを信じ続けましょう。神様は必ず私たちに良いものを用意してくださっています。それは、主イエス様が、私たちに約束してくださったことなのですから。「私は御業をことごとく語り伝えよう」(28節)。主なる神様によって今があることを証しして、大切な方に主の恵みを大胆に語りましょう。