この詩の冒頭にカッコ書きで「アルファベットの詩」とあります。これは、ヘブライ語のアレフ、ベート、ギメルといった英語で言うABCを順に使ったもので、日本で言うところのいろは歌のようなものです。詩人の素直な気持ちを表したものではなく、先にヘブライ語の枠組みがあって、そこに言葉を組み込んだ技巧的な詩ということが言えます。「世々限りなくみ名をたたえ、世々限りなくみ名を賛美します」という言葉で始まり、出エジプトの出来事が思い起こされ、「世々限りなく聖なるみ名をたたえます」と締めくくられているところなどは、神様を賛美する教科書のような詩編です。私としては、同じ言葉が続いているようで、物足りなさや、つまらなさ、さらに言えば神様の恵みってそんな単純じゃないだろうと反発すら感じていました。しかし、今回の一連の詩編の学びで、詩編が歌であることを理解した上で読んでみると、この繰り返しが実は重要で、感情に訴える効果があることに気づきます。歌は印象に残る歌詞が繰り返されます。一番強調したいから繰り返されているという側面と繰り返されるから印象に残るという両面があると思います。単純で親しみやすいメロディと歌詞だけで心にすっと染み入るのです。共感できるのです。ユダヤ教の人々は、特にこの145編を大切にしているそうです。ある研究者は、イエス様の主の祈りは、この145編がベースになっているのではと語っているほどです。歌や詩は、頭ではなく心にそのまま届くメッセージです。繰り返し繰り返しこの詩編の言葉を読み返していくと、味がどんどん出てくるのです。神様の愛の深さ、広さ、さらに近さを反発することなく受け入れられるようになるのです。ユダヤ民族を守り導いてくださった神の愛は、今私たちに注がれている。神が人となられた不思議な御業と同時に、自分を絶望の闇から救ってくださった神の不思議な御業を私たちは、次の世代に伝えていきましょう。世々限りなく聖なるみ名がたたえられるために。