2024年8月12日、彼は肺炎のため東京都内の病院において死去。80歳没。
私にとって、松岡正剛氏との出会いは『17歳のための世界と日本の見方』であった。
ネットサーフィンをしていて、この人の何であったか忘れたが書評に感銘を覚え
すぐさまアマゾンでポッチたのだった。
彼はこの世の中の情報は編集されたものだという。ちょうどその本を手にした頃、
私は「史的イエス」に飢え乾いていた。本当のイエス様ってどんな方だったのかと。
神学校でも、聖書は編集されたものとか、パウロの名前が使われているが、偽物の
可能性があるとか、「神の言葉」と信じてきた私には受け入れがたいものだったが、
何とか学問と信仰に折り合いをつけて牧師をしていた。A氏にはA氏の読み方があり
B氏にはB氏の読み方がある。聖書自身矛盾する記述もたくさんある。だから、それで
いいんだと。それでも絶えず聖書とは?イエス様とは?と疑問を持ってきた。
疑問というか、自分が伝え、教えていることが正しいのかと言うほうがあっていると思う。
その様な心の問いを、松岡正剛氏は、「歴史は編集されている」とはっきり言いきった
のである。一生懸命護教的(キリスト教)であろうとしていた自分の目が開かれた思い
であった。福音書はともかく、パウロの手紙などは、パウロさんもまさか自分の手紙が、
2000年も新約聖書として読まれていることなどつゆ知らずだったろう。その手紙の中にも
神様の霊感が働いていると言うけれど、イエス様やパウロさんが律法の解釈を更新・編集
したように、聖書の読み方も更新されなければならないものだと思うのです。
アメリカ大統領選でトランプを支持する敬虔なクリスチャンが「聖書は女は男の助け手
だと書いてある。だから大統領は女であってはならない」と語っていた。おいおい、トランプ
のようにスキャンダルまみれなのは、いいの?である。聖書の読み方ひとつで、右にも左にも
世界の見方は変わる。松岡さんはクリスチャンではなかったが、クリスチャンでなければ
聞かなくてよいという「カルト的マインド」はなくしていいんだと思います。
もう少し若かった頃に、彼を知っていればよかったなあと思うと残念ですが、彼はね、
きっと天国にいると思います。だって、多くの人に世界の見方を教えた人なのですから。
熱心なクリスチャンの皆さん、聖書をよく読んでください。そして、今神様が語ろうと
していることは何であるのか、神学的前提を抜きにして考えてみてください。牧師が言うことを
うのみにせず、よくよく自分で考えるのです。祈るのです。