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10/6 礼拝メッセージ「国境の人」

 私の家の前を通る道は、平安時代から明治 26 年までの 1000 年間、武蔵国と相模国を

隔てる国境線でした。私は「国境の人」です。そこで気づきました。私はキリスト者と

して「神の国の」国境の人なのだと、意味の発見をしたのです。

 今日の聖書の言葉に「神の国」という言葉があります。「パウロは、…全く自由に何

の妨げもなく、神の国を宣べ伝え、主イエス・キリストについて教え続けた。」パウロ

は、自分の前にある神の国の国境線を拡げ続けたのです。「神の国」とは、主イエスの

語る言葉があるところです。主イエスの言葉を聞く人のいるところです。主イエスが手

を伸べるところ、足を踏み出すところ、そこに神の国があったのです。その神の国を証

しするように主イエスは弟子たち、教会を、「地の果てまで、…証人となる。」(使徒

言行録1・8)と派遣したのです。だからパウロはその最期にあって、「神の国を宣べ

伝え(続け)、主イエス・キリストについて教え続けた。」 ローマ帝国が世界のすべ

てだと思っていた時代に、その世界には、もう一つの意味があり、物語があり、その歴

史があると、証しました。 パウロは、この時、鎖につながれていましたが、確かに鎖

につながれたような私たちの歩みであっても、神の国に足掛かりを持つ者たちは、「全

く自由に何の妨げもない」歩みに立ち上がっているのです。

 

 私が初めて行った教会は、希望が丘教会でした。その年、教会としての組織自立を行

い、めぐみ幼児園を開園しました。しかし、統計を見ると礼拝人数が最低を記録した年

だったのです。当然、「今は教会の内側を整えるべき時だ」という声が出る。しかし、

「御言を宣べ伝えなさい。時が良くても悪くても」(テモテへの手紙 二 4章2節、

口語訳)。この言葉に励まされ、軸足をそこに置いて出て行ったのです。そこで配った

チラシの1枚が、私を捕えたのです。御言葉によって引き出された時、鎖につながれた

ような現実であっても、「全く自由に何の妨げも」なくなり、困難、悩みから自由にな

り、その証の手によって私が発見されたのです。

神の国の国境線は今、時が良くても悪くても、「全く自由に何の妨げもなく」国境の

人である皆さんの言葉と生活を通して目の前の人に拡げられていくのです。