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4/27 礼拝メッセージ「復活の証言エマオにて」

 主イエス様は、思いがけない方法で弟子たちにその姿を表されました。何か

夢や幻のようなあやふやなものではなく、しっかりと弟子たちにその姿を示さ

れたのです。その出会いは、やはり思いがけない形で起こりました。日曜日の

夕方、二人の弟子がエマオという村に向かって歩いている途上で、主と出会っ

たのです。意気消沈している彼らは一つの信じ難い話を耳にしていました。そ

れは、主イエス様が甦って、女性たちに現れたという話でした。そのようなこ

とがあるのかどうか、彼らは論じながら歩いていたのです。そうすると、一人

の人がその道中に加わってきたのです。そしてその人が彼らに尋ねられました。

17節「歩きながら、やり取りしているその話は何のことですか。」この言葉に、

弟子たちは足を止めてしまうほど、驚きました。「あなたはこの間エルサレムで

起きたことを知らないのか。」主イエス様は、それに対してご自身の受難と復活

を解き明かされたのでした。村に近づいた時、主はさらに先に行こうとされま

したが、二人は主を引き留めました。そして、一緒に食事をした時に、主が賛

美の祈りを唱え、パンを裂かれた時に、主ご自身であることが分かったのでし

た。しかし、その時には主の姿は消えており、彼らは急いで元来た道を引き返

し、11人の弟子たちに事の次第を語ったのでした。 

 

 主は、弟子たちを力づけるために、その姿を現されました。それは、32節

の弟子たちの言葉に表されています。「道で話しておられるとき、また聖書を説

明してくださったとき、わたしたちの心は燃えていたではないか。」希望を失い

冷え切った彼らの心は、再び希望に燃やされたのです。 

 

 主は、エマオのさらに先に進まれようとされました。どこに行くつもりだっ

たのでしょうか。それは、私たちの所だと思うのです。まだ信じることのでき

ない私たちのところに、落胆している私たちのところに、イエス様は来て下さ

ろうとしていたのです。あのカラバッジォの『エマオの晩餐』のように「その

話は何の事ですか?」と。私たちが置かれている状況を主に祈りという形で話

しだす時、私たちは主からの語りかけを聞くことができるのです。私たちも復

活の主を証ししよう。