ご葬儀の司式をする中で未信者のご遺族とキリスト教、特にイエス様の復活
について話すと、途端にそれまでとは違う感じになります。科学が発達した 21
世紀に生きる私たち同様、主イエス・キリストの復活を信じられないのは、主
イエスの弟子たちも同じだったのです。しかしイエス様が十字架に付けられた
時にできた傷を示されて、この喜ばしい現実を認識し、心に平和が訪れたので
す。イエス・キリストはまさに「シャローム・エイレーネー・平和」そのもの
でした。
しかしこの時、12 弟子の一人でディディモと呼ばれるトマスだけがその場に
居合わせなかったのです。そのトマスが 10 人の弟子たちがいるところに帰って
くると彼等は口々に「イエス様を見た」といって喜んでいましたが、トマスは
「あの方の手に釘の跡を見、この指を釘跡に入れてみなければ、また、この手
をその脇腹に入れて見なければ、私は決して信じない」と信じなかったのです。
そのようなトマスに復活のイエス様が現れます。トマスに向かって、「あなたの
指をここに当てて、私の手を見なさい。また、あなたの手を伸ばし、私の脇腹
に入れなさい。信じないものではなく信じる者になりなさい。」と言われました。
トマスは復活の主の栄光に圧倒されて、「私の主、私の神よ」と告白します。聖
書の中で実際にイエス様を「神」と書いてある所は少ないのですが、この主の
甦りを疑っていたトマスがイエス様を神と告白していることが重要なのです。
主の復活が真実か否か、それはこの弟子たちの言葉を信じるかどうかにかか
っています。少なくとも誰よりも疑い深かったトマスはその目で見て、そして
触れて主の復活を認め、主イエスこそ、我が神と告白したのです。私達の罪が
すでにキリストの御傷によって赦されていることを信じ、キリストの業を共に
宣べ伝えていくものでありたいと思います。