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6/15 礼拝メッセージ「男の神はつらいのか」

 父の日と三位一体主日に父なる神について学びます。まず三位一体という言

葉は、2 世紀のテルトゥリアヌスの著作に見られます。それまではヨハネ福音書

14:28「父はわたしよりも偉大な方だからである」やマルコ福音書 13:32 の「そ

の日、その時は、誰も知らない。天使たちも子も知らない。父だけがご存知で

ある」から子なるイエス・キリストは神の下の存在という理解が多勢でした。

12弟子たちも、イエス様を神の独り子、神に遣わされたメシア、救世主と理

解していても神ご自身とまでは理解していなかったのです。(トマスはイエス様を

「我が主、我が神」と告白していますが)これを神学用語で従属説と言います。

しかし、だんだん人々の間で神様・イエス様・聖霊様の関係について認識の違い

が明確になりました。父権性社会においては、子よりも父の方が上だと考えるの

は普通だったのです。そして主なる神様を男としてとらえたのはまさに、その父

権性社会という文化が反映したものであり、それはユダヤ教の一神教の伝統を引

き継いだものでした。

 

 ローマ帝国の国教になるに及んで、キリスト教の公式の教えが必要となり、

325年のニケア公会議で、三位一体がキリスト教会として公式の教えに落ち

着きました。三位一体とは、「三神」(三つの神々)がいるのでもなく。また

「父と子と聖霊は、神の三つの様式でしかない」「神が三役をしている」といっ

た考え方(様態論)でもありません。それぞれが独立した存在(位格)ながら

同等な一つの存在という考え方なのです。イエス様は、神様を「アッバ、父よ

(アラム語で“お父さん”)」と呼び、神を遠い存在ではなく、信頼と愛の対象

として表現しました。 

 

 しかし現代においてその「父なる神」という表現が適切ではないという問題

提起もあります。父の権威がなくなったり父親との関係が必ずしも良好でない

人も多く、「父なる神」という表現が安心よりも恐れや傷を連想させる場合があ

るからです。 

 

 神は本来、「霊」であり(ヨハネ 4:24)性別を持たない存在ですが、それでも

「父なる神」という表現は、聖書と信仰の伝統に根ざした言い方であることを

私たちは大切にしたいと思うのです。