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6/22 礼拝メッセージ「愛の鞭は古いのか?」

 現代においても神を「父」と言いうる要素が「愛ある厳しさ」です。民数記

14 章では、イスラエルの民の不信と反抗に対して、厳しい裁きを告げる場面が

描かれています。まさに父なる神の厳しさです。近年、社会では「優しさ」や

「思いやり」が強調され、親も教師も、なるべく子どもに厳しくしないように

と考える風潮があります。いつ頃からか熱血指導が怪我や自殺につながり、体

罰は人権侵害となり、親のしつけが度を越した虐待になって、暴力とみなされ

るようになり、学校の現場では、一切の体罰が禁止されるようになりました。

「時代が違う」と言われればそれまでですが、何がよくて何が悪いことなのか、

未成熟な子どもに分からせるために「厳しさ」は今も必要なことです。 

「わが子よ、主の鍛錬を軽んじてはいけない。主から懲らしめられても、力

を落としてはいけない。なぜなら、主は愛する者を鍛え、子として受け入れる

者を皆、鞭打たれるからである。」(ヘブライ 12:5-7)親が子どもの将来を思っ

て、必要なときに注意し、時には叱るように神様の厳しさは、成長させるため

のものなのです。 

 

 私たちを救うために、神は独り子主イエス様をこの世に送り、さらに「この

杯を取り除けてください」とゲッセマネの園で祈るイエス様のその祈りを受け

入れず、十字架への道を歩ませました。父なる神は、御子にさえ厳しい道を与

えるほど、私たちを愛しておられるのです。「およそ鍛錬というものは、当座は

喜ばしいものではなく、…後になるとそれで鍛え上げられた人々に、義という

平和に満ちた実を結ばせるのです。」(へブライ 12:11)これが神の厳しさの真

の目的です。神の厳しさを知るとき、私たちは神の深い愛をもっと深く知るの

です。そこにあるのは罰ではなく、訓練と導きです。その厳しさは、永遠の命

に至る「やさしさ」にほかなりません。