ガラテヤの信徒への手紙5章の小見出しには「キリスト者の自由」とあります。
神様は、私たちがイエス・キリストを信じる、その一点によって「義」と認め、
救ってくださる方です。人は自由に生きられるようになった…それがこの手紙
の中心メッセージです。ところが19節以下、「肉の業」として姦淫や偶像礼拝な
どが挙げられ、「このようなことを行う者は神の国を受け継ぐことはできません」
と続くと、私たちはこの「自由」に対して疑問が湧いてくるのではないでしょ
うか。実はこの箇所は、当時のローマ世界の異教的な宗教儀礼(神殿での性行
為や薬物儀式、どんちゃん騒ぎ)を背景にして語られています。つまりこの箇
所は、キリスト者のモラルを問題にしているのではなく、「キリストを信じる」
と言いながら別の神を拝んでしまうことへの警告なのです。
また「神の国」とは死後の天国だけでなく、今ここにも始まっている神のご
支配のことを指しています。苦しみや悲しみが残るこの世界も、やがて完成さ
れ、すべての痛みが拭われる希望がある…これが神の国です。
22 節以下では「霊の結ぶ実」として愛、喜び、平和などが挙げられますが、
これは「努力して良い人になれ」という命令ではなく、霊の実とは、神様が私
たちの内に育ててくださるものです。めぐみ教会には信徒たちに愛されている
ぶどうの木がありますが、愛情をもって育てる人によって手入れをされて、初
めて美味しいぶどうを実らせます。ぶどうがどんなに気合いをいれても、美味
しい実をならすことはできないのです。ぶどうが手をかける人の愛によって育
つように、神様は私たちを手入れし、整え、少しずつ変えて下さるのです。
だから私たちは「ダメな人間だから信じる資格がない」なんて思わなくてい
いのです。神様は、つらい現実を生きる私たちにイエス・キリストを与えてく
ださいました。この方を信じるなら、神の国の一員とされ、希望と癒しを受け
取って生きていける。神様は、あなたに今、生きていてほしい…幸せに生きて
ほしいと願っておられるのです。
