私たちキリスト教会は、イエス様を神の独り子であり救い主と信じています。
十字架にかけられ死なれたイエス様は、驚くべきことに3日後に甦り、天に昇ら
れた。その出来事とイエス様の教えは、聖霊を受け変えられた弟子たちによっ
て人から人へと伝えられ、とうとう392年ローマの国教にまでなるのですが、そ
の過程で、神と神の子の関係が議論されるようになりました。神は唯一の存在
という立場から考えれば、イエス・キリストはその神から生まれたもの、すな
わち被造物であり、「神の子」という立場になったのは、生まれる前からとか洗
礼を受けた時とか、さらに霊なる神が汚れた肉体を持ち、殺されるはずはない
と、イエス様を幽霊のような存在と考える教えまで生まれます。これらは、イ
エス様の人間性を否定したり、逆に神性を否定する教えでした。325 年ニケア公
会議は「キリストは父なる神と同質であり、永遠の神である」と定めて、キリ
ストは神によって創造されたとするアリウス派を異端として追放しました。
これらの歴史から、私たちはイエス様をどのような方だと告白するかという
ことを今も問われています。正しい人を招くためではなく罪人を招くために私
は来たと言われ、神の愛をその身で証明してくださったイエス様をどのような
方だと私たちは告白するのか?
讃美歌21 280 番の『まぶねの中に』の歌詞は、私がイエス様をまことの人に
してまことの神と信じる全ての理由が込められています。「貧しき憂い、生くる
悩み、つぶさになめし この人を見よ。」「友無き者の 友となりて、心砕きし
この人を見よ。」全ての人に生きる希望を与えてくださる存在。それが神の子主
イエス・キリストなのです。歴史を振り返れば、この恵みに与れないとする
人々を私たちは生み出してきました。異邦人、障害者など、差別という形で拒
絶してきました。今LGBTQの人々に対しても私たちは、それが聖書の教え
だからと拒絶しています。しかし、主の愛はすべての人々に及んでいることを
私たちは改めて考えなければならないのです。
